上手な悩み方
職場で回覧されていたメンタルヘルスに関するリーフレットに「悩むなら「上手な悩み方」をしましょう」という記事があった。
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悩むなら 「上手な悩み方」をしましょう!
職場には悩みはつきないものですね。同じ「悩む」なら「上手に」悩んで乗り切りたいものです。悩みの「下手」と「上手」はどう違うのでしょうか?下手な悩み方とは、1.ヤミクモに自分を責める、2.どうどう巡りの思考をする、3.情報不足です。
ヤミクモに自分を責めるというのは、自分に対する無意味な仮説を立て過ぎることです。「自分には無理なのではないか?」「自分が悪いのではないか?」といった悲観的な仮説は意識的に止めることが大切です。
次に、どうどう巡りの思考をやめて、進むための思考に切り替えてみましょう。
状況を客観視し、思考を整理して、考えを明確にするためにノートと筆記用具を用意します。きちんと聴いてくれる人を確保することも有効です。
そして「自分がどうしたいの?」「問題点はどこか?」「打てる手は何か?」などの開かれた質問をしてみて下さい。何に悩んでいるかを言語化したり、書き言葉にしてみると複雑に思えた悩みも、意外に整理されます。また、自分で書いたものに、アドバイスをするつもりで、回答を書いてみると、客観的思考ができ、悩みを別の切り口で見直すことができます。
3 つ目が情報収集のアクションです。情報不足や不確かなまま、無駄に悩んでいることも意外に多いものです。社内情報、インフォーマルな情報、公的機関、社会資源、同じ悩みを抱えている人からなどです。そこから視野が変わったり、解決の糸口が見えたり、勇気付けられたり、専門的なアドバイスがもらえることが、非常に有効です。
最後に、悩む時はエネルギーが必要ですから、いつも以上にしっかり睡眠をとり、食事することを心がけてください。また、飲酒しながらの思考は厳禁です。酒は一時的に気を大きくして悩む気持ちを和らげますが、思考は止まり、捉え方が歪みます。高じればアルコール依存症など、別の問題も抱えることになりますので、絶対に避けるべきです。
「悩むこと」を恐れずに「上手に悩むこと」にチャレンジしてみてください。
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これは職場での悩みに対するものであるが、がん治療での悩みはもっと深く、かつ、深刻なことが多い。
もちろん、中には傍目からは脳天気とも思えるほど、悩みが見えない方もいるが、悩みを見せていないだけかもしれないし、真実、悩んでいないのかもしれない。確かに、標準的治療の普及により、それなりの病院ならば、治療に大差はなくなりつつあるので、悩むよりもおまかせという態度も悪くはないのかもしれない(私の価値観とは異なるが)。
このような方は別として、このメンタルヘルスの記事は、がん患者(家族)の悩み方にも当てはまるところが多いようである。
1.ヤミクモに自分を責めない
がん関係の掲示板を見ると、何故、がんになってしまったのかとクヨクヨとしている人が結構いらっしゃるようである。
しかし、現在までの研究では、様々な生活因子とがんの間に明確な関係がわかっているのはタバコだけである。
その他の、例えば、食生活については、ある研究では特定の食品とがんの関係が見られたとするものもあるが、別の研究では認められなかったとされたり、というのが実態である。タバコを除けば、がんに関係する生活要因はない、ないし、あったとしても研究により結論が異なる程度の影響しかないというのが穏当なところである。なお、巷でよく言われるストレスであるが、そもそも「ストレス」とは何者かも不明であるし、どのようにして「ストレス」を測定するのか(本当に「ストレス」を測定しているのか)なども確立していない。不明かつ測定方法もきまっていないものと、他との関係などがわかるわけはない。
つまり、スモーカーの肺がん患者を除けば、なぜ、がんになったかなどというのは現在の人間の知恵ではわからないのだから、悩む甲斐がない。
なお、スモーカーの肺がん患者であっても、肺がんになる確率が高かったというだけであり、もっとヘビースモーカーでも肺がんにならない方もいるし、逆に、タバコを吸われない方でも肺がんにかかられる人はいる。つまり、「個々」のスモーカーの肺がん患者についてすら、タバコが肺がんの原因であった可能性があるとは言えても、原因であったとは断言できず、タバコの影響ではなく単に運が悪かっただけということもある。
いずれにしても、がん患者になってしまった以上、これをクヨクヨしてもなんらプラスはない。現実を受け入れたうえで、もっと前向きなことに悩むエネルギーを向ける方がメンタルヘルス上も実利上もプラスであろう。
また、治療に関しても、後になって、あの時このようにしていたらと思うことはある。
もちろん、このような反省をし、次に同じようなことが生じたらこれに活かすことは大事である。しかし、これで己(ないし他人)を「責め」てもプラスはない。たんなる八つあたりにすぎない。
そして、たいていの場合は、別の選択をしていたらより良くなったのではないかという思いはすぐにわくのであるが、別の選択肢ではより悪かった、とか、大差がなかったという見かたは意識的に行わなければ気がつかないものである。
いずれにしても、すでに起こったことについて己を責めてみても仕方がない。
それが、どのように認めたくないことであったにしろ、起こったことは起こったこととして認める。これが第一歩であろう。
そして、必要ならば、どうすればより良かったのかということを「反省」(後悔ではなく)して、将来、同じようなことが生じた場合(生じてほしくはないかもしれないが)により良き対応を行うべく努める。
なにも、がん治療あるいは職場の悩みに限らず、生きていく上での一般的なことであるように思える。
2.どうどう巡りをしない。
メンタルヘルスのリーフレットに書いてあるどうどう巡りと、私の考えるどうどう巡りには違いがあるようである。
つまり、状況が客観視されず、思考が整理されず、考えが明確でない段階の悩みならば、どうどう巡りしようにも、感情的に困っているだけで頭(知性)は働いていないのだから、考えがそもそも進みようがない。進まないのに巡れるわけはない。
どうどう巡りというよりは、足踏みとか停滞というのが適切ではないか。
私の考えるどうどう巡りというのは、状況を客観視し、思考を整理して、考えを明確にした上で、あり得る選択肢がどれも不満であり、かつ、それぞれ別の一長一短を有している。このような状況で、ある選択肢について、○○という面では良いがXXという面では悪いと悩んでいるうちに、XXという面では良い別の選択肢に考えが移り、でも○○という面では悪いといつの間にか悩みが変わってしまう。しかし、○○という面で悪いと悩んでいると、また、元の○○という面では良い案にいつの間にか戻ってしまう。
このようなネガティブセレクションにおける複数の選択肢の間でのどうどう巡りである。
いずれにしても、状況を客観視し、思考を整理して、考えを明確にすることは、上手な悩み方の初歩であることは間違いない。
例えれば、山歩きをして道に迷った時に、やみくもに進んだところで同じ付近をぐるぐる歩いているだけか、場合によっては、崖から転落してより事態を悪くする可能性が高い。
多分、第一にすべきことは、状況の整理だろう。地図を見る、置かれている天気を確認する、日暮れまでに残された時間を確認する、持参の食料や服装などの装備を確認するなど出来るかぎり置かれている状況を客観視してみる。その上で、この地点までは確かに来ているから、迷ったとしたら、この付近で、多分自分がいるのはこの付近か、あるいは、別のこの付近だろう。とか、天気は悪くないので慎重に引き返すことは可能とか視界がないので下手に動くと藪蛇かもしれない、などといろいろと整理してみる。
その上で、リスクやベネフィットを考えて方針を決める。
山歩きなどほとんどしたことがないが、間違いなくあわてて、本能的に動き回ってもリスクが大きいだけでベネフィットは少ないだろうことはないだろうということは見当がつく。
これまでの私なりの経験によると、悩みや出くわした問題の9割以上が、状況を十分に客観化できれば(かなり複雑なものだと当初に思ったものを含めて)自然と解決してしまう。
ところで、きちんと状況を客観化しても解決しない(私の言うところの)どうどう巡りにはどのように対処すれば良いのか。
私なりの答えは「悩まない」ということである。
つまり、客観化しても悩む場合は、どの解決策をとっても不満が残り、かつ、解決策の不満の程度が同じということである。
まずは、一回、本当に同じくらいの不満度か確認してみる。もしも、そうであれば、無理やりに悩むのをやめる(としても、脳は潜在的に考え続けている)。
適当な時間(場合に応じて、数日だったり数時間だったり)を置いて、再度、各解決策案の不満度が同じか確認する。
もしも、相変わらず同じ程度であるならば、どの解決策をとっても大差がないということで、エイヤと決めてしまう。方法は占いでもよいが、主治医に、自分なりに悩んだ内容(自分なりの客観化、整理、残っている解決策案)をきちんと伝えて、主治医におまかせしても良いのかもしれない(そもそもどの解決策案も同程度と言うことまでは自分なりの整理が出来ているのだから)。
3.情報収集
情報は悩む上で重要である。
そもそも、情報不足や不確かであるがゆえに、無駄に悩んでいることもあるだろう。
少し知識があり、知ってさえいれば悩むことなどなかったということも多いだろう。
また、悩むに当たって、置かれている状況をより良く客観視するためには持っている情報は多いほうが良い。
とりえる解決策を考えるとしても、いくつかの解決策のパターンを知っているのと無知なのでは雲泥の差が出てくる。
ただし、世の中には、質の悪いというかトンデモな情報もあふれている。
トンデモをトンデモと承知した上でどうするかは、ある意味で自由であるが、トンデモをまっとうなものと信じていては、このような情報は持たない方が有益である。
まずは、公的なサイトなどで基本的な情報をおさえることが最低限必要であろう。
最低限の知識もないのにトンデモに挑戦しようとするのは身の破滅のもとである。
それ以上に、まず押さえるべき情報源は主治医であろう。治療において、患者自身のデーターを最もよく知っているのは主治医であるし、治療に「責任」をとるのも主治医である。まさしく「ファースト・オピニオン」である。
もちろん、主治医は神様でもないし、絶対的なものでもない。間違ったことをしないとは限らないし、最新の知識を有しているとも限らない。
必要ならば、セカンド・オピニオンとして他の専門医の意見もきいてみる(あくまでも、セカンドであり主治医がファーストである)。そして、意見が同じならばより納得が深まろうし、違えば、セカンドの意見も踏まえて主治医に質問すればよい。
この場合、ネットを使用することは否定しないが、ネットというのは玉石混交であり、かつ、その特定の患者について情報に乏しい人からのコメントであることを忘れてはならない。正直に言って、あまり知識がなく、したがって、患者に関する情報も不十分にしか提示出来ない程度の方がネットに頼ることにはかなりの危険性を感じることが多い。
4.「開放的」に悩む
確かに悩むにはエネルギーが必要である。体から見ればエネルギーが吸い取られてしまう。
このためだろうか、悩んでいると、精神状態が暗くなり、より悩みに嵌ってしまうという負のスパイラルに入ってしまいがちである。
経験的には、悩むならば開放的にするほうが良い。
話し相手がいれば、口に出して悩む。また、メンタルヘルスの記事にあったノートに書いていくというのも同じことである。
出来るだけ「脳内」のみで悩まないようにする。
口に出すならば、かなり意識して「明るく大きな声」で話す。
食欲がなくとも、意識して、悩むためには食べることといつもよりも食べるように努める。
このような「逆張り」はそれなりに疲れるものであるが、結果としてはそのほうが得策だろう。
昔、飲酒について言われた言葉がある。
最初は「人が酒を飲む」。ここで終われば人格者であるが滅多にいない。
普通はついつい飲みすぎて「酒が人を飲む」ようになってしまう。望ましくはないが、凡人はついついこうなってしまう。
そして、最後には「酒が酒を飲む」状態に陥ってしまう。これは、アル中への第一歩である。
これを変えると、
「人が悩む」。人間生きていれば悩みはないわけはない。
さらに、悩みが深いと
「悩みが人を支配する」。意識して、人が主導権を奪い返さなければならない。
そして、
「悩みが悩む」。どうどう巡りの泥沼状態である。悩みに疲れるだけで前進することはない。このような負のスパイラルに陥らないように、陥ったら、とりあえず、泥沼だけらは抜け出す、そのための意識的な努力が必要だろう。


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