トロッコ
国語の教科書で使われていた(使われている?)芥川龍之介の短編である。
あらすじは、「少年は線路の敷設工事をしている工夫たちがひくトロッコを操縦してみたいと思いました。工夫たちに手伝わせてくれないかと頼みます。工夫たちは笑って許してくれました。少年は楽しくて仕方がありませんでした。夢中になってトロッコを動かしました。いつのまにか遠くまで来てしまいました。工夫たちから、突然、もう帰んなと言われます。少年は急に不安になりました。宵がはじまります。夜になります。少年は泣きながら一人で走って帰りました。家に着くなり大泣きしてしまいました」。そして一行空けた後「良平は(略)今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。(略)塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………」というものである。
(参考:http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/book/akutagawa_20.html)
もっとも、短編であるので全文を最後に載せておくので読んでほしい。
ただし、これは青空文庫からのコピペであるが、ふりがなは略したので、青空文庫で無料で読むほうがわかりやすいと思う。
青空文庫「トロッコ」http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43016_16836.html
ところで、中学の国語の時間、この「トロッコ」の授業で、最初に「この話を二つに分けるとすれば、どこでわけるか?」と質問され、「工夫たちから、突然、もう帰んな」と言われるところと、誤って(?)答えたという記憶がある。
もちろん、正解は、過去と現在をわける「一行空けた」ところなのであるが。
今から思い返すと、やはり「突然、もう帰んな」というところで分けるほうが、より深い意味で正解のように思われる。
子どもは親や社会に見守られながら遊び、一人前になると独立しておのれの力で生きていくということは、動物(人間を含む)のほとんどに見られるものである。
人間ならば、開発途上国などで「半大人」として、日本人から見れば、過酷な仕事(手伝い)を分担させられているところもあるし、仕事は免ぜられていても「勉強」にかりたてられる国もあるが、大人と子供の対比としてみるならば、これは普遍といえるように思われる。
芥川の「トロッコ」では、子どもの世界で遊び、守られていた良平が、「突然、もう帰んな」の一言で、他人に守られることもなく、「去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍」に一人で立ち向かうということに投げ出されてしまったのである。
そして「薄暗い藪や坂のある路」を走り戻り、やっと家(子どもの生活)に駆け戻る。
時間が経過して、大人となっておくる「塵労に疲れた」生活、それも、「突然、もう帰んな」と投げ出されて帰った細細とした薄暗い坂のある一すじの路と同じなのである。
たしかに、形式的には、子ども時代と大人、伊豆と東京の違いはあるが、「突然、もう帰んな」までが、遊び見守られる「子ども」であり、その後は、自分ひとりで細細とした薄暗い坂のある一すじの路をたどらざるをえない「大人」なのである。
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しかしながら、社会全体が豊かになるにつれて、平均的な生活リスクが低減してきたし、福祉の名のもとに、大人に対しても一定水準の社会保護が与えられるようになってきた。
さらに、親がいくらかの資産を持っていれば、その子どもはそれによる保護すら期待できるようにもなっている。
この結果、大人になっても、子どもと同じく、社会が見守り、自分を保護してくれるもの(あるいは、保護されるのが当然である)という風潮が広がりつつあるように思える。
もちろん、社会的公正のために、保護を与えられて当然の方はいらっしゃるが、身体・精神能力など普通の方にも、このような方々が増えつつあるように感じる。
社会の子ども化・幼児化というのだろうか、国民には遊ぶ自由と守られる権利があるとでもいうかのように。
古代ローマの「パンとサーカス」に打ち興じ、周辺から迫る危機やローマ社会自体の腐敗を見ようともしなかったローマ市民という愚民。
行く末は、ローマ帝国の崩壊だった。
日本が崩壊しようと、全体国家になろうと、中国ないし米国の属国となろうと、多分、そのころまでは生きてはいないだろうが・・・
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手術で完治が見込める早期がんならば別として、ほとんどの進行がんでの治療は、患者からみても、多分、医療関係者から見ても、十分なものとは言い難い。もちろん、十年前と比べると、一定の進歩はあるものの、とてもではないが、十分などという水準には、かなりの差がある。
例えていえば、良平が楽しんだ行きの蜜柑畑を駆け下る快適な楽しい道ではなく、帰りの泣きながら走った道であり、大人の良平がたどっている細細とした薄暗い坂のある一すじの路、それも、いつ行き止まりになってしまう道である。
そして、それでも、最初の頃は、標準的治療という一つの道しるべがたってはいるが、まもなく、それもなくなってしまう。
新薬により多少は道は良くなったが舗装道路というよりも田舎の山道てしかない。
ネットにより治験結果などが調べやすくなり、その意味では、地図が整備されつつあるが、まだまだ、まばらな点情報にすぎない。
また、標準的治療という道しるべがなくなった以降の治療は、右に曲がるのか、左に曲がるべきかのはっきりとした根拠はないことも多い。ひょっとすると右に曲がったとたんに断崖から落ちてしまうかもしれない。場合によっては、そこから動かずになりゆきにまかせるのがベストであることすら多いだろう。(標準的治療も断崖につながる可能性はあるが、平均すれば、現時点の信頼性の高いデーターからは、これが一番遠くまで行ける。)
にもかかわらず、蜜柑畑を下る快適な道でなければ納得しないし、かつ、そのような道を連れて行ってもらうのが当然という患者もいるらしい(ネットなどを見ると)。
なんとなく、(遊びで)楽しみ、かつ、周囲の社会はこれを見守ってくれるのが当然という「子ども」から抜け出していないようである。
そして、ある日、「突然、もう帰んな」の一言にあって狼狽してしまう。
よく考えて欲しい。
相手が子どもだと思っていれば、たとえそれがより遠くまで延びる道であるとしても、リスクがある道に連れて行くだろうか。
もちろん、患者は医師に比べれば素人に過ぎない。
しかし、自分に可能な範囲で勉強し、医師からの情報を理解しようと努め、医師の助言のもとかもしれないが、精一杯自己決断する。
そのような大人でなければ「細細とした薄暗い坂のある一すじの路」を歩こうとすることすら許されないかもしれない。
しかし、大人になっても「子どものままであり続ける人」さらには「子どもであり続けることが権利であると思う人」が増えつつあるように思える。
がん患者ならば、せいぜいその本人の余命の長さにしか影響しないが、これが、社会全体に広がれば、この社会はどうなってしまうのだろうか・・・
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トロッコ
芥川龍之介
小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇んでいる。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。煽るように車台が動いたり、土工の袢天の裾がひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思う事がある。せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事もある。トロッコは村外れの平地へ来ると、自然と其処に止まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押す事さえ出来たらと思うのである。
或夕方、――それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、その外は何処を見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロッコを押した。トロッコは三人の力が揃うと、突然ごろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。ごろり、ごろり、――トロッコはそう云う音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。
その内にかれこれ十間程来ると、線路の勾配が急になり出した。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうかすれば車と一しょに、押し戻されそうにもなる事がある。良平はもう好いと思ったから、年下の二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初徐ろに、それから見る見る勢よく、一息に線路を下り出した。その途端につき当りの風景は、忽ち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当る薄暮の風、足の下に躍るトロッコの動揺、――良平は殆ど有頂天になった。
しかしトロッコは二三分の後、もうもとの終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押すじゃあ」
良平は年下の二人と一しょに、又トロッコを押し上げにかかった。が、まだ車輪も動かない内に、突然彼等の後には、誰かの足音が聞え出した。のみならずそれは聞え出したと思うと、急にこう云う怒鳴り声に変った。
「この野郎! 誰に断ってトロに触った?」
其処には古い印袢天に、季節外れの麦藁帽をかぶった、背の高い土工が佇んでいる。――そう云う姿が目にはいった時、良平は年下の二人と一しょに、もう五六間逃げ出していた。――それぎり良平は使の帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗って見ようと思った事はない。唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はっきりした記憶を残している。薄明りの中に仄(ほの)めいた、小さい黄色の麦藁帽、――しかしその記憶さえも、年毎(としごと)に色彩は薄れるらしい。
その後十日余りたってから、良平は又たった一人、午過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺めていた。すると土を積んだトロッコの外に、枕木を積んだトロッコが一輛、これは本線になる筈の、太い線路を登って来た。このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼等を見た時から、何だか親しみ易いような気がした。「この人たちならば叱られない」――彼はそう思いながら、トロッコの側へ駈けて行った。
「おじさん。押してやろうか?」
その中の一人、――縞のシャツを着ている男は、俯向きにトロッコを押したまま、思った通り快い返事をした。
「おお、押してくよう」
良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。
「われは中中力があるな」
他の一人、――耳に巻煙草を挟んだ男も、こう良平を褒めてくれた。
その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくとも好い」――良平は今にも云われるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起したぎり、黙黙と車を押し続けていた。良平はとうとうこらえ切れずに、怯ず怯ずこんな事を尋ねて見た。
「何時までも押していて好い?」
「好いとも」
二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思った。
五六町余り押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。其処には両側の蜜柑畑に、黄色い実がいくつも日を受けている。
「登り路の方が好い、何時までも押させてくれるから」――良平はそんな事を考えながら、全身でトロッコを押すようにした。
蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下りになった。縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と云った。良平は直に飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑のを煽りながら、ひた辷りに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずっと好い」――良平は羽織に風を孕ませながら、当り前の事を考えた。「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い」――そうもまた考えたりした。
竹藪のある所へ来ると、トロッコは静かに走るのを止めた。三人は又前のように、重いトロッコを押し始めた。竹藪は何時か雑木林になった。爪先上りの所所には、赤錆の線路も見えない程、落葉のたまっている場所もあった。その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖の向うに、広広と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。
三人は又トロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、面白い気もちにはなれなかった。「もう帰ってくれれば好い」――彼はそうも念じて見た。が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、勿論彼にもわかり切っていた。
その次に車の止まったのは、切崩した山を背負っている、藁屋根の茶店の前だった。二人の土工はその店へはいると、乳呑児をおぶった上さんを相手に、悠悠と茶などを飲み始めた。良平は独りいらいらしながら、トロッコのまわりをまわって見た。トロッコには頑丈な車台の板に、跳ねかえった泥が乾いていた。
少時の後茶店を出て来しなに、巻煙草を耳に挟んだ男は、(その時はもう挟んでいなかったが)トロッコの側にいる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。良平は冷淡に「難有う」と云った。が、直に冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つを口へ入れた。菓子には新聞紙にあったらしい、石油のがしみついていた。
三人はトロッコを押しながら緩い傾斜を登って行った。良平は車に手をかけていても、心は外の事を考えていた。
その坂を向うへ下り切ると、又同じような茶店があった。土工たちがその中へはいった後、良平はトロッコに腰をかけながら、帰る事ばかり気にしていた。茶店の前には花のさいた梅に、西日の光が消えかかっている。「もう日が暮れる」――彼はそう考えると、ぼんやり腰かけてもいられなかった。トロッコの車輪を蹴って見たり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押して見たり、――そんな事に気もちを紛らせていた。
ところが土工たちは出て来ると、車の上の枕木に手をかけながら、無造作に彼にこう云った。
「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」
「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら」
良平は一瞬間呆気にとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。良平は殆ど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。彼は若い二人の土工に、取って附けたような御時宜をすると、どんどん線路伝いに走り出した。
良平は少時無我夢中に線路の側を走り続けた。その内に懐の菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それを路側へ抛り出す次手に、板草履も其処へ脱ぎ捨ててしまった。すると薄い足袋の裏へじかに小石が食いこんだが、足だけは遙かに軽くなった。彼は左に海を感じながら、急な坂路を駈け登った。時時涙がこみ上げて来ると、自然に顔が歪んで来る。――それは無理に我慢しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴った。
竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山の空も、もう火照りが消えかかっていた。良平は、愈気が気でなかった。往きと返りと変るせいか、景色の違うのも不安だった。すると今度は着物までも、汗の濡れ通ったのが気になったから、やはり必死に駈け続けたなり、羽織を路側へ脱いで捨てた。
蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷ってもつまずいても走って行った。
やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。
彼の村へはいって見ると、もう両側の家家には、電燈の光がさし合っていた。良平はその電燈の光に、頭から汗の湯気の立つのが、彼自身にもはっきりわかった。井戸端に水を汲んでいる女衆や、畑から帰って来る男衆は、良平が喘ぎ喘ぎ走るのを見ては、「おいどうしたね?」などと声をかけた。が、彼は無言のまま、雑貨屋だの床屋だの、明るい家の前を走り過ぎた。
彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。殊に母は何とか云いながら、良平の体を抱えるようにした。が、良平は手足をもがきながら、啜り上げ啜り上げ泣き続けた。その声が余り激しかったせいか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集って来た。父母は勿論その人たちは、口口に彼の泣く訣を尋ねた。しかし彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、…………
良平は二十六の年、妻子と一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………
青空文庫より(ただし、ふりがなは略)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43016_16836.html



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