昨日(13日)、お問い合わせをいただきました北海道のk様、誤ってメールを削除してしまいました。
申し訳ありませんが、再度、メールをいただけますようにお願いします。 |
現在の米国での金融不安を発端とする経済不況の原因の一つとして、格付け会社がレバレッジ経営(借りた資金で投資することにより、手持ち資金だけによるよりも多額の利益(=ハイリスク)を追及すること)などを高く評価したことが背景の一つにあるとよく指摘されている。
そもそも、格付けとは
「格付けは本来、債券の発行体の債務の支払い能力を評価するものです。それが転じて金融機関の健全性を判断する目安としても活用されています。
専門家でない個人が決算書などの財務資料を読みこなすのは大変です。ましてやそれに基づき、経営・財務状況を正確に判断するのはさらに難しいでしょう。
そこで、有力な判断材料の1つとして注目できるのが格付けです。
格付けは本来、金融機関を含めた債券の発行体について、債務の支払い能力を評価するものです。その発行体の利息や元本の支払い能力がどの程度のレベルにあるのか、債券を購入する際に参考にするわけです。
もちろん、債務の支払い能力と金融機関の健全性は必ずしもイコールではありませんが、目安として活用することは十分可能です。複数の金融機関のランキング表を見れば、比較するのも簡単です。
格付けは格付け機関が行います。ムーディーズとスタンダード&プアーズの2社が世界的に有名です。わが国では格付投資情報センターや日本格付研究所などが活動しています。
これらの格付け機関は利害関係のない第三者として中立的な立場から格付けを行います。基本的に、格付けされる側から提出されたデータをもとに、経営の安全性や信用力などを分析・評価します。ただし、公表された情報(有価証券報告書など)だけで分析・評価する「勝手格付け」もあります。格付けを見るときはその違いを知っておいたほうがよいでしょう。」
と野村証券HPでは説明されている。
http://www.nomura.co.jp/learn/study/start/safetynet/p-kakuduke.html
ところで、7月3日(金)の朝日新聞の経済面のコラム「経済気象台」に「「自家用格付け」のすすめ」という記事が掲載されていた。
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金融機関、年金基金、財団などの2009年3月期決算が深刻な議論を呼んでいる。有価証券、中でも安定を求める債券運用の損失処理が、予想外に多額だからだ。
運用者からすると、政府のお墨付きのある格付け会社がトリプルA、ダブルAという高い格付けをつけていた債券だからこそ安心して保有していた。それなのに多額の損失を被り、青天のへきれきだというところだ。格付け会社に損失を負担してもらえないか、といってもむなしい。格付けは「ひとつの意見」であって保証ではない、と答えが返ってくるだけだ。
運用者は自らの役割として、財務データを入手し分析した上で格付け評価する、すなわち「自家用格付け」をする必要がある。格付け会社の格付けはあくまで参考にとどめるということだ。そうなると、格付け会社の格付けは誰の目にも明らかに、「ひとつの意見」でなければならない。債券発行者の財務データ入手と分析手法において、格付け会社と運用者が同じ土俵に乗ることが原理原則となる。
残念ながら、今回の損失の中心となったサブプライムローンを組み込んだ仕組み債は、そうはなっていなかった。財務データが法定開示の対象でないため、運用者は簡単に入手できず、コンピューターモデルによる分析手法は、誰もがすぐに理解できるものではなかった。ほとんどの運用者は、「自家用格付け」ができなかった。だからといって、いまさらどうにもならない。
今回の教訓は、運用者は「自家用格付け」ができない債券に手を出してはならないということに尽きる。権威のある格付け会社がいかに高い格付けをつけていようとも、である。
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わかるようで、よく考えると矛盾のある記事である。
そもそも「格付け」に頼るのは、その運用者が「自家用格付け」をする能力がないか、乏しくて、格付け会社の格付けほど信頼性のある格付けをすることができないからなのではないか。
もちろん、運用者といっても様々であり、その中には、格付け会社と同程度以上の情報収集・分析能力をもっていて当然ともいえる大規模な運用者もいるだろうが、規模が小さく自家用格付けの能力がないものも多くいるだろう。
また、格付けに用いる財務データーなどにしても、最近はネットのおかげでアクセスしやすくなったとはいえ、(勝手格付けは別として)格付け会社が企業から直接得られる情報や多くの企業情報を踏まえたその業界の動向などについては、一般の運用者では入手不可能であろう。
この記事では、すべての運用者が相当の能力を有していることが暗黙の前提とされているように思える。
もしも、そうであれば、そもそも格付け会社は成立しないし、個々の運用者が判断できるのであれば、そもそも格付けなるものも無意味である。
もっとも、次のような視点からの「自家用格付け」は大事であろう。
運用者はその責任を果たすため(そのために給与をもらっているはずであるから)には、格付け会社の評価に頼りきりになるのではなく、可能な限りにおいて、情報の収集・分析に努めて、格付け会社の格付けを自分なりに再評価することは当然のはずである。
もしも、これをしないならば、「給料泥棒」と呼ばれてしまうかもしれない。
また、本当に「自家用格付け」をする能力がなければ、債券に手をだすべきではないのかもしれない。しかし、零細の保険組合のように手を出さざるを得ない運用者もいるかもしれない。多分、この場合、格付けを信用するのが一番無難(ローリスク)なのんもしれないが、まったくの暗闇の中、見知らぬ他人の手に導かれて歩いているというリスクを認識すべきであろう。
さらに、今回のサブプライムローンのように、このような評価を出来ないものに手を出すならば、その「情報不透明性」に対するリスクを認識し、それを覚悟の上でなければならないだろう。
別の視点からの「自家用格付け」もありえるだろう。
一般に格付け会社の格付けは、財務的な観点からなされるであろう。また、運用者の多くも、この観点に基づいて投資するであろう。
しかし、これがすべてとは限らない。
ミニ運用者の本当に個人投資家ならば、環境にやさしい会社を好ましいと思うかもしれない。あるいは、その会社の製品が「好き」だからとか、その会社の工場が近くにあるからなど、投資決定の視点はいろいろあるだろう。
であれば、このような視点からの会社評価も、その個人投資家にとっては、立派な・大事な「自家用格付け」であろう。
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ところで、がん治療における「格付け」について考えてみる。
一番有名な(?)「格付け」は「標準的治療」ということになろうか。
格付けの基準やルール、品ぞろえの少なさ等にはいろいろと問題を感じるが、そのような制約や限界を知って見るぶんには「信頼性」は高い。
具体的に言えば、「標準的治療」は、「日本における無作為割り付け治験や大規模治験などの信頼性の高いエビデンスのみを評価データーとして、専門医グループが判断した格付けで最高位のもの」と言い換えられる。
データーも信頼性が高いし、評価者も信頼性がある・・・その意味で信頼性が高い格付けであり、他に頼るものがなければ一番無難なものである。
と書くと、「標準的治療」の格付けのどこに問題点があるのか疑問に思われるかもしれない。
まず第一に、社会の多くのもの同様に、格付けのもととなる評価データーが十分にそろっていないということである。
「日本における無作為割り付け治験や大規模治験などの信頼性の高いエビデンス」などがあるのは、ほんの一握りにすぎない。
さらに言えば、日本の治験は海外の二周遅れ(海外では標準治療となっているものについて治験が行われていない(=標準「的」治療でない=保険適用外のことが多い)ため、海外との国際共同治験に参加しようとしても、「新規治療」対「標準治療」の標準治療ができないため参加すらできない)となりつつある。
つまり、もととなっているデーターが、最新治療ベースではないのはもとより、国際的な標準治療すら入っていないことがありえる。
さらに言えば、このような最新治療は脇に置くとしても、例えば、副作用が強すぎるため薬の量を減量した場合に対するデーターはない。
このため、標準的治療=最大限投与(ならばまだしも、患者によっては過剰投与)と鳴らざるを得ない。
また、ファーストラインの治療のあとの、セカンドやサードラインの治療についてきちんとした治験データーがそろっているがんは少ない。
このように、確かに信頼性は高いが、適用できる範囲が狭く、これだけをもって、実際の治療を行うことが常にベストであるかは疑問なしとしない。(もっとも、多少前まで、この程度のエビデンスも参考とすることなく行われていたことを考えると、「進歩」していることは確からしいが)
第二に、評価の基準が「医学的観点」「だけ」であるということである。
医師が評価すれば、どうしても効果が副作用よりも重きがおかれるであろう。
それ以前に、患者によっては、医学的観点よりも重視したいものがある(例えば、在宅を強く望む患者にとっては、入院が必要なようなレジメンは評価が低いだろう)かもしれないが、このようなものは「格付け」には配慮されない。
もちろん、第一の問題点についても、第二の問題点についても、評価の恣意性を廃し、客観的な「格付け」とするためには仕方がないことかもしれないが、「標準的治療」には、このような「限界」があることは留意しておくほうが良いだろう。
この「標準的治療格付け」とは、まったく正反対なのは、免疫療法を称するクリニックがHPなどで掲げる「自己格付け」である。
そもそも、そこで使われているデーターがどこまで本当のものか不明である。
特に、体験談の類には「抗がん剤などの通常医療も受けており、その効果とするほうが自然なのに、その事実を隠す」とか、さらに「単なるフィクション(それも出来の悪い)にすぎない」ものが多いように見受けられる。
さらに、これを評価するのも、そのクリニックの医師にすぎない。
本当の格付けにも、当該企業からの依頼を受けないで行う「勝手格付け」があり、その際に、(ハイリスク・ハイリターン企業を高く評価し、経営や投資に慎重なローリスク・ローリターン企業を低くみなすという)欧米の価値観を押しつけることが問題になっていたが、このようなインチキクリニックのものは「自分勝手格付け」ということになろうか。
いや、そもそも「格付け」などという言葉を使うことが間違っているのだろう。
では、記事にある「自家用格付け」というのはどうであろうか。
二つの「自家用格付け」があり得るように思える。
一つには、医師における「自家用格付け」である。
標準的治療という代表的な格付けが極めて限定されたものである以上、本来、現場で治療に当たる医師は、その医師毎の、そしてその患者毎の「自家用格付け」をもって、標準的治療を補足していくことが必要なはずである。
もちろん、このためには、最新の論文などの知識・抗がん剤治療経験・そして標準的治療という裏付けがある治療から外れるという度胸の三つが要求されるであろう。
それだけの能力・意志のない医師は、標準的治療にこもるのが安全かもしれないが。
もう一つは、患者における「自家用格付け」である。
一番極端な場合、患者自ら、相当の医学的知識を持って「自家用格付け」を持つことである。
いわば、プロの患者である。
情報化のおかげで、最新の論文(のアブストラクト)の多くはネットで読むことが出来る。
日本の論文はなかなかこのような公開がされていないが、幸いなことに、国内ではロクな治験はなされていないので、大きなマイナスにはならない。
今の日本の医療制度では、ほとんどの医師は多くの患者を診なければならず、勉強に充てる時間も少なくなるし、個々の患者に対してさける研究時間も少なくなる。
患者であっても、本気で打ち込めば、医師にかなり近づけようし、ある局所については医師より詳しくなれるかもしれない。
もっとも、このようなプロになるには、かなりの時間がかかる。
すべての患者が、このような「自家用格付け」を持つのは非現実的であるかもしれない。
そこまで極端ではないとしても、治療に対して、どのようなものを重視するのか、逆に、どのようなものは気にしないのかといったことをきちんと整理して、それに基づいた医師探しということは大事なのかもしれない。
いわば、格付け会社は財務的側面からの格付けを行うが、運用会社なり具体的な運用コースでは、例えば、環境重視企業重点など、投資家の価値観に応じたものもあるだろう。
具体的な「自家用格付け」は無理としても、このようなことならば可能かもしれないし、少なくとも、自分に応じた治療を求めるのであれば、これは義務でもあろう。
ただし、あくまでも、会社が存続しての投資である。どこまで重んじるかは別として、「格付け」情報も知らないで投資するならば、虎の子をドブに捨てることにもなりかねない。
「自家用格付け」に向けた努力は重要であるが、(それが厳しいものかもしれなくとも)現実にもとづかない「自分勝手格付け」に陥るならば、人間として安易に「命」を扱っていることにもなるはずである。
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