予想脳
題名に引かれて「予想脳」(藤井直敬、岩波科学ライブラリー111)という本を読んで見た。
この本は、もちろん真面目な科学についての本であるが、「これは科学論文ではない。引用文献を積み重ねることで今現在可能な議論より、過去の議論にとらわれずに、ある程度自由に未来の議論ができればと思う。通常の科学論文がボトムアップに構成されているとすれば、本書はいわばトップダウンの手法をとる。それゆえ推論に推論を重ねることが多いが、できる限り過去の報告と整合性を保つように努力するつもり」とはじめにに書いてあるように、脳研究の微細な各論を束ねる一つの「概念仮説」を説明する本である。
「概念仮説」であるから、正しいものか、誤っているものかについては、今後出てくるだろう多くの研究成果を待たねばならない。
もちろん、著者は一流の脳科学者の一人であり、これまでに得られている研究成果とは矛盾しないものであるらしい。
そして、研究成果とは言いがたい(自然科学的なエビデンスとは言えない)が、人間の行動や自分自身の行動・思考の内容とあてはめてみると、「当たっている」のではないかと思われる。
ところで、「予想脳」とはどのような概念なのか。
瀬名秀明さんが2006年3月のブログ(瀬名秀明の時空の旅)で、この本を紹介されているので引用させていただく。
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著者はもともと丹治順氏のもとで学んだ研究者。先頃、虫明元さんの講演も大変楽しく拝聴したが、丹治一門の研究はなかなか面白い。
さて本書はジェフ・ホーキンスらの『考える脳 考えるコンピュータ』での議論を踏まえつつも、著者が以前から考えてきたらしい脳の本質について考えをまとめたものである。即ち、情報を予測する装置としての脳、についてである。「予想脳とは、次に生ずる未来を常に予想して、絶えず流入してくる自動処理された外界環境情報と自己が予想した未来とを比較することが、脳の本質的な機能である」。
たぶん、この考えの大筋は正しいと思う。また多くの脳科学者も、予想することが脳の重要な機能であることには同意していると思う。著者はホーキンスを何度も参照した上で、ホーキンスには次のふたつの視点が欠けていると指摘。ひとつは、社会性。知性は他者の存在抜きにしては語れないのに、ホーキンスはむしろじっと瞑想しているときの閃きを重視しているという点。もうひとつは、環境文脈による処理構造の変化という視点。
で、著者は次のようなメカニズムを唱える。人間の脳は、どうやって未来に起きる事象を予想しているのか。それは自己を取り巻く空間情報をベースとした「テンプレート」と、その空間に付随して学習により蓄積された「オブジェクト」によってである、という。ある特定の環境の中で、そういった事象がどういった順序で、どのくらいの確率で生じるか、という経験が、テンプレート上のオブジェクトに蓄積されているのだというわけ。そしてもうひとつ重要なのが、このテンプレート上のオブジェクトをどこから見ているか、どのように世界を縁取りしているか、というフレームである。私たちはこういったフレームを通して世界を見ている。このとき、あらかじめ学習によって持っているテンプレートと、実際に見ている世界がズレてくると、私たちはそれを誤差として認識する。
(以下、略)
http://senahideaki.cocolog-nifty.com/book/2006/03/__predicting_br_afc1.html
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少し補足すると、ここでいうテンプレートとは、その時々の自分にとっての世界=脳内風景=とでも言うものである。
例えば、現在、パソコンを打っている私のテンプレートはパソコンの画面とキーボード(私はブラインドタッチはできない)からなり、その脇にある辞書なり電卓は視界には含まれていても、抜け落ちている。この文書を打っているときに、言葉の正確な意味を調べる必要が出てくれば、テンプレートは辞書になる。(これにより脳内資源の節約が図られる)
実際の日常生活ではもっとテンプレートは複雑であり、多くの対象(オブジェクト)が載っている。
道路を歩いていれば、向かいから来る歩行者、後ろから聞こえる車の音、商店の安売りの幟、少し先に見える工事中の現場・・・
そして、その時々に応じ、あるオブジェクトに注意が向けられるし、その注意の程度は深かったり、浅かったりする。
これをフレームと呼んでいる。
ビデオカメラでどこを撮影しているか、そのズームの度合いはというようなものに対応するもののようである。
また、個々のオブジェクトは物理的実態というよりも、時間的な変化(予想)も含んでおり、かつ、その予想は一つではなく、高確率のものから低確率のものまでを含む、いわば濃淡のある雲状のものである。
そして、脳はテンプレート上で、フレーム内のオブジェクトについて、そのオブジェクトが正しい(予想と一致)のかを常にチェックし、正しくない(予想と違っている)と信号を発する(認識に登る)とともに、随時、予想との誤差に基づいて、オブジェクト(潜在下の予想と予想を導く公式)に修正を行う。
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この予想脳仮説は、科学的に検証されていないとしても日常生活の体験とはよく整合しているように思われる。
たしかに、視覚・聴覚・触覚などに入る全情報が認識されているわけではない。
多くの場合、自分の関心事にかかるものや、自分の安全にとって重要なことにしか気がつかない。
また、平常どおり(予想と誤差なく)進んでいる間は刺激を受けないが、思わないことがある(大きな誤差が生じる)とびっくりする。
また、ベテラン(予想の精度が高く、予想の範囲が絞り込まれている)ならば、ちょっとしたことも誤差と感じて異常を指摘できるが、素人ならば予想の範囲が絞り込まれていないため、小さな異常ならば予想との違いが不明であり、感じることができない。
新製品(これまでの商品(予想含む)との誤差が大きい)は関心を引くが、そのうちに、予想に取り込まれてしまうと関心を引かなくなる。また、新製品といっても、旧来の延長上で違いが少なければ、予想との誤差が小さく、振り向かれない。
世の中で起こっていることにしても、その人のテンプレート(政治に関心があるとか、芸術がすき、欧米にあこがれているなど)や、その人にとっての当該オブジェクト(過去に会ったことがあるとか行ったことがある。それとも、ただのもの)などによって、受ける刺激(持つ関心の程度)は異なるだろう。
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予想と抗がん剤治療について考えてみよう。
患者は、知識や経験が少ないので、予想はあいまいなものにならざるをえない。
そして、予想がない(予想がつかない)ということは、脳の機能(予想脳)にとって不安定極まりない。そのために「不安」を感じる。
治療を経験し、あるいは、知識・情報を持つと、漠然とした不安は減少するが、経験したり知ったがための「心配」が増えてくる。
また、少しでも異常があれば「副作用」ではないかと考える。
また、知識や経験があるといっても、量的・質的に限られたものである以上、予想は漠としたものであろう。ちょっとしたことでも、想定外(予想の程度が低い)になり、あわてふためく(誤差が大きく、それに対する反応が大きくなる)。
知識・経験豊富な医師ならば、潜在的な予想の精度が高いのみならず、比較的稀な可能性まで予想に含まれる。
このため、いろいろな副作用に対して冷静に処置できるし、一つの抗がん剤レジメンが無効になったときにも次に有効な可能性が高いレジメンを選択・提示できる。
医師にはなれないまでも、患者としての予想精度を高めるためには、やはり知識や経験を少しでも増やす(本当は、経験は増やしたくないのだが)しかないだろう。
それが、自分の病気に冷静に対処できる一つのポイントであろう。
また、患者と医師のテンプレートは異なる。医師は医師としての教育を受け、経験をつんできている。
したがって、両者の価値判断にズレがあっても当然である。
主治医に対して不満を持ったときに、その原因としてテンプレートの違いということを考えて見るのも有効かもしれない。不満から一歩離れて、相手はどのようなテンプレートに基づき考えているのか想像する。
逆に、その想像されたテンプレートに対して、自分の思い(テンプレート)をどのように伝えるのが有効か検討してみる。
また、自分にあった治療を求めるならば、医師のテンプレートの中の自分の「オブジェクト」を正しいものにすることが必要である。このためには、自分(オブジェクト)がどのようなものなのかということを知らしめることが必要である。
このためには、まず自分で自分のことを知ることが必要なはずである。
医師は、多くの患者(オブジェクト)を診ているだろう。多分、数百人であろう。その中で、特段の努力もなく、自分というオブジェクトを熟知して欲しいというのは無理ではなかろうか。
また、ネットの世界は居心地が良い。これは、現在のネットはリアルの世界と違い、想定外のことが少ない(誤差が少ない)ため、不快が少ないためだろう。もちろん、ゲームで想定外なことが起こるとしても、想定外のことが起こることはルールとして示されており(予想の範囲内)、かつ、生命などの人間にとって重大なものにかかわることはない。
ところが、がんに効くと称する健康食品(実態は健康に良いのかすら不明)やトンデモ医療という耳障りの良い世界に嵌まり込んでしまい、不透明(予想がつきにくい)なリアルの世界に戻れない人もいるらしい。そして、生命という自分にとって一番大事なものを「おとぎ話の世界」で空費していたと気づいたときには遅いという悲劇(非難覚悟で書けば「喜劇」)のヒロインを演じている。
予想を深めていく、しかし、予想は予想であることも承知する(予想外のことが起きるかもしれないことも予想しておく)こと、そして、そのための努力をすることは、抗がん剤治療に限らず、すべてのことにおいて重要だと思うがどうだろうか。




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