明治時代の軍隊
最近、「湛山回想」(石橋湛山、岩波文庫)を読んでいる。
石橋湛山氏は、私の年代では今ひとつ記憶に薄い人物ではあるが、昭和のことを語る本では、時折出くわす名前であった。
ウィキペディアによると、
「石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年(明治17年)9月25日 - 1973年(昭和48年)4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家。第55代内閣総理大臣。自由民主党総裁。従二位勲一等。早稲田大学名誉博士(Doctor of Laws)
戦前から一貫して日本流の植民地経営を批判し加工貿易立国論を唱え、戦後は日中米ソ平和同盟を主張し政界で活躍した。保守合同後初の自民党総裁選を制して総理総裁となるが、在任2ヵ月弱で脳梗塞を発症して退陣した。
なお湛山は日蓮宗の僧侶として得度してからの名前で、俗名は省三。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1
この「湛山回想」は、石橋湛山氏によるおいたちから戦後占領時代の政界までの半生をつづったものである。まだ、途中までしか読めていないし、内容の本筋でもない部分ではあるが、いくつか興味を覚えたところがある。
まず、湛山氏が明治の末に、軍隊に入隊した体験・意見。
湛山氏の経歴(W大卒)から社会主義者(当時は、共産主義はなかった)と誤解されたおかげで「厚遇」を受けたとのこと。具体的には、ある士官から英語を教えよということで、毎夜のように士官室に招かれた。実は、これは、湛山氏を「監視」するためだったということである。少なくとも、当時においては、暴力により士卒の思想を矯め直そうとか、社会主義者に無理な圧迫を加えるようなことはなかったそうである。
また、新兵に対して、演習外の雑事(掃除、せんたく、銃の手入れ、靴磨きなど)を古兵の分もおしつけたり、やりかたが悪ければビンタの一つ二つはあるものの、それほど大きいものではなかった。鞭声粛々をもじって「新兵シクシク夜厠に泣く」と言われていたが、いわゆる虐待を受けてというより、慣れない軍隊生活に気をつかい、郷愁を感じてのためだったろうとのことである。
さらに「将校下士馬卒」という言葉があるらしいというについて、士官に尋ねたところ、戦線に出すため将校は中等学校卒以上のものを1年以上、下士は高等小学校卒業以上のものを2年以上、馬も数ヶ月の調教を必要とするが、卒は招集して銃の撃ち方を教えれば数日間で役に立つ。つまり、補給が難しい順番を示したのが「将校下士馬卒」であるが、いまは使っていないとの答えだったとのこと。
湛山氏は、これに対して、人権が尊重されるのは、それが社会上必要で価値がある場合であり、軍隊は戦争を目的とする機関であるから、一切の価値判断がこの目的に照らして行われるのが当然である。こう考えれば、将校下士馬卒という言葉は、戦争と軍隊を肯定する限り全く正しい哲学で、非民主的でも、野蛮でもないと書かれている。
もっとも、これに続いて、「私の説明は裏返せば、反軍的にもなる。戦争を肯定し、軍隊の存在を許す限り、兵卒すなわち一般民衆は、人権どころか、馬ほどの価値も認められないぞと、それは教えるものだからである」と、より本質をきちんと述べられているので誤解なきように。
そういえば、最近の政治家の議論を聞いていると、「将校下士馬卒」はけしからんというレベルの議論ばかりであり、それがもたらされた原因である「戦争なり軍隊」レベルの議論がなされていないように思える。
さらに、軍隊がその存在の理由を肯定する限り、決して不合理の社会ではないとして、戦闘の基本法則を記した「野外要務令」を引き合いに出している。
「各機関ノ将校ハ専ラ心力ヲ職責ノ在ル所ニ竭(つく)シ、他ノ補助ニ依頼セズ、確然自立シテ其(その)任務ヲ全クスベシ、大小ノ機関各々此心ヲ以テ心トセバ、全軍ノ協同一致始メテ得テ期スベキナリ。」
「凡(およ)ソ命令ニハ服従ヲ要ス。然レドモ其実施ニハ独断ヲ要スル場合尠(すくな)カラズ、此服従ト独断トハ正ニ相反スルモノノ如シト雖(いえど)モ、其実ハ則(すなわ)チ然ラズ。」
「独断専行」という言葉は、この綱領から出たのだそうである。
なお、このほか、新兵が入営すると、同時にそれぞれの市町村役場から、その者の経歴、特技、性状、嗜好等が細かく記入された身上調査票が来る。これを参考に、各新兵の個性と能力を観察し、これに応じた教育と任務を与えるようにと将校は指導されていたとのことである。
軍隊は、正しい意味での団体主義、したがって正しい意味の個人主義をその哲学としていた。もちろん、それが全て正しく行われていたとはいえず、新兵虐待のごとき事実も起こっていたが。と湛山氏は、論じた上で、
「一見機械的に見られる軍隊が、個人の価値をかく真剣に認めていたことは注目すべき事実であって、もちろんそれは単なる人道主義や天賦人権主義論から出たことではない。強力なる団体は、これを構成する個人の個性を最大限に生かして初めて組織される。この実用上の必要が、軍隊をして右の方針を取らしめたものと思う。」
というように書いている。
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これは明治の末の話であるから、戦前・戦中の日本軍のことをそのまま示しているものではないだろう。
もっとも、(善し悪しは別として)軍隊の存在理由を判断基準としての合理性を追求するならば、ある意味で、これはあるべき軍隊像になのかもしれない。
そうであるとしても、戦時中の軍隊について伝えられているところとのギャップの大きさというか堕落には驚かされる。これは、民主主義などという現在の価値観から見てだけではなく、軍隊がその存在理由から持つべき合理性から見てもである。
ところで、個々の兵卒を「馬以下」としてしか扱わない軍隊においてすら、個々人の身上調査票をもとにその経歴、特技、性状、嗜好等を把握し、さらに、個性と能力を観察し、これに応じた教育と任務を与えるようにと将校は指導されていたという「個性尊重」の精神には感心する。もちろん、これが軍隊を強力にするためには、個々を最大限に生かすことが有用であるという現実的理由からだとしてもである。
ひるがえって、現在のがん治療ではどうだろうか。患者の個性・価値観を把握し、それにふさわしい治療がなされる努力はなされているのだろうか。
標準的治療を固守し、患者の価値観などというソフトなものどころか、患者により異なる副作用に応じ、副作用低減策・薬の減量や薬の変更すらも行われていないことも多いらしい。
既存のデーターから見る限りでは、標準的治療は、医学的には優れたものなのかもしれない。しかし、患者の満足(これこそ医療(医学ではなく)の目指すべきものと思うが)は、医学的な判断基準とは同じとは限らない。さらに、医学的に優れたものといっても、これは平均値にすぎないはずであり、個々の患者に対する効果・副作用を観察し、それに応じて適切に治療に変更を加えることは、個々の治療レベルをより良くするもののはずである。
医療全体をより良いものにするためには、平均的に優れていることがわかっている標準的治療を最初のとっかかりとすることは合理的かもしれないが、治療が始まり、個々の患者の個性(効果・副作用)が明らかになったら、標準に拘泥せずに、個々の患者にとってのベストを目指して修正していく。個々を最大限にすることにより、全体が強力になるのではなかろうか。
なお、標準的治療のもととなっている既存のデーター群は極めて限られたものにすぎず、完璧とははるかに離れたものであることを考えるとなおさらである。
それ以上にびっくりしたのは、「独断専行」という言葉が軍隊からのものであり、それも肯定的に使われていたということである。
本来、軍事行動というものは、個々の部隊・兵卒が勝手なことをするならば、その被害は全軍に及ぶかもしれないものである。もっとも、上意下達が求められる組織のはずである。
しかし、よく考えてみると、命令というのは、事前の予想によるものである。戦いというのは生き物であろうから、実際の実施段階では何が起こるかわからない。
実施に当たってまで、現実に何が起こっていようと、命令に拘泥することは、軍隊としても非合理なはずである。
標準的治療とは、「既存」の「網羅的とは言い難い」治験データーを踏まえて、最も有望な治療を示したものにすぎない。なかには、確度が高くこれに従わないことは医学的には疑問といえるものもあろうが、治療における参考にすべきガイドライン程度というのが抗がん剤治療については事実であろう。少なくとも軍隊における命令と比すれば、緩やかなものであることには異議がないにちがいない。
軍隊においてすら「凡(およ)ソ命令ニハ服従ヲ要ス。然レドモ其実施ニハ独断ヲ要スル場合尠(すくな)カラズ、此服従ト独断トハ正ニ相反スルモノノ如シト雖(いえど)モ、其実ハ則(すなわ)チ然ラズ。」と独断専行が肯定されている。
にもかかわらず、抗がん剤治療においては、標準的治療を機械的にそのまま行うことしか認められないという「専門家」がいるという驚き。
ひょっとすると、このような個々人の存在を認めない医師の治療を受けると「新兵シクシク夜厠に泣く」ならぬ「患者シクシク常時病室に泣く」ということになってしまうかもしれない。


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