信じる者は・・・
信じる者は救われるだろうか、それとも、信じる者は騙されるだろうか。
とりあえず、次の5つの質問に対して、まったくそうは思わない(=1)から非常にそう思う(=7)の7段階で答えて欲しい。
1.ほとんどの人は基本的に正直である。
2.私は人を信頼するほうである。
3.ほとんどの人は基本的に善良で親切である。
4.ほとんどの人は他人を信頼している。
5.ほとんどの人は信用できる。
なんということのない単純な質問ばかりであるが、この質問に対する答えと、前の記事で書いたような信頼に関する複数の実験結果とを比べると、かなり相関しており、つまり、個々の実験参加者の質問に対する回答と実験での行動を比較すると、いくつかのおもしろいことが判明している。
(1)単純な質問なのに、結構信用できる。
実験の参加者をくじにより、「分配方法の選び手」と「謝礼の決め手」にわける(実際には、くじに仕掛けがあり、全員が分配方法の選び手になる)。
分配方法の選び手は、次の二つの方法のうち、どちらかを選択する(どちらを選択したかについては実験者を含めわからないということにしてある)。
・ 分配方法の選び手も謝礼の決め手も1000円。
・ 分配方法の選び手と謝礼の決め手で合計2500円であるが、その2500円の配分は謝礼の決め手が決定。
誰が謝礼の決め手なのかいっさいわからないのですから、他人に対する信頼の程度がそのまま前者(均一1000円)を選択するか、後者(合計2500円)を選択するかの結果にあらわれるでしょう。
結果をみると、高信頼者では前者が42%で後者58%、低信頼者では前者が83%で後者が17%とはっきりした差がついた。
また、前の記事の日米比較で
日本人は、44%を寄付(高信頼者55%、低信頼者33%)
米国人は、56%を寄付(高信頼者76%、低信頼者44%)
という一つの実験結果を書いたが、ここにも高信頼者と低信頼者の差異があらわれている。
このほか、いくつかの同様の実験でも見られているそうです。
つまり、あのような単純な質問に対する回答でも、結構、信用できるということです。
これを利用して、実験参加者の信頼の高低と実験結果について調べられています。
(2)信頼する者は・・・
【信頼する者は知的である(かもしれない)】
高信頼者と低信頼者を比べると、高信頼者のほうが教育年数が長い(つまり、高等教育を受けている割合が高い)という結果がアメリカの調査ではわかっています。
しかし、これは高等教育を受けていない人のほうが、実社会で荒波を受ける可能性が高いということの反映かも知れません。
ですから、信頼する者は知的であるかもしれないということはいえるでしょうが、断定はできません。
【騙されるかも知れないとわかっていたら・・・】
ある実験で、参加者の中にサクラを入れておき事前に「この実験で自分は騙された」という情報を他の参加者に与えた場合と、そうでない場合を比べるという実験があります。
その結果は、情報が与えられない場合では、高信頼者と低信頼者に差がでましたが、「騙された」という情報が与えられた場合には差が出なかったそうです。
つまり、騙されるかも知れないとわかっていれば、高信頼者も相手をそんなに信頼しなくなります。わかっていて騙されるほどのお人好しは少ないのです。
【信頼する人は騙されやすそうに・・・】
実験参加者(学生)をまわりの学生(同じ寮の学生)がどう思っているかについて、米国で調査した結果があるそうです。
すると、高信頼者はまわりの人から信頼できる人だとは思われていましたが、騙されやすい人間だと思われているかについては、低信頼者と差がありませんでした。
信頼する人は、騙されやすいお人好しのようには見られないようです。
【信頼する者は情報に敏感】
ある人(Aさん)が駐車場で車を別の人の車にぶつけてしまった。幸い?なことに周りは誰もいずそのまま逃げてもわからない。Aさんはどうするだろうか。
Aさんについてのポジティブあるいはネガティブは情報(例えば、並んでいる列に割り込んだ)を知らせた上で、Aさんが当て逃げをする確率を予想するという実験がなされた。
与えられた情報のポジティブ・ネガティブの程度によって、当て逃げしないという予想確率が高くなること自体は、高信頼者も低信頼者も同じであるが、その変化の度合いは高信頼者のほうが高かった。
つまり、高信頼者のほうが情報に敏感(疑り深い?)という一見、矛盾する結果となった。
このような結果は、他の同様の実験でも得られているそうなので、たまたまとはいえないそうです。
【信頼する者は相手を見る】
ゴミ問題への関心を調査したいとして、ゴミの回収に関する問題を参加者全員で議論させた。
そして、この後、別の実験として、二人一組(ただし、相手が誰かはわからない)で、謝礼100円を相手に「提供」するか相手から「巻き上げる」かを決める。提供した場合は倍額の200円が相手に提供される。巻き上げることを選択すると相手から200円がとりあげられる。つまり、双方ともに提供すれば、相手からの200円ひくことの提供した100円で100円の得。双方ともに巻き上げを選べば提供しなかった100円ひく巻き上げられる200円で100円のマイナス。一方が提供し、もう一方が提供しなければ、一方は300円の得(提供しなかった100円と相手からの200円)、他方は300円の損という「厳しい」実験がなされた。
別の参加者に、二人はAさんとBさんと教えて、「提供」か「巻き上げ」かを予想してもらい、予想が当たればボーナス100円を支払った。
すると、低信頼者より高信頼者のほうが、正確に予想していたということが明らかになりました。
同様の実験が、別のグループでなされたり、あるいは、知り合い同士のグループでなされたりしましたが、同様の結果が出たそうです。
つまり、人は一般に信頼できるという「甘っちょろい」信念を持っている高信頼者はだまされやすい「お人好し」だと思われていますが、この結果によると、高信頼者こそが、他人を信じようとしない低信頼者よりも、他人の行動を正確に判断しているらしいのです。
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ところで、この高信頼者は別の調査結果によると「他人と協力していくことが重要だ」と考えている人とよく一致するようです。
つまり、高信頼者は、低信頼者と比べて他人との協力関係を積極的に作ろうとするようです。逆に低信頼者はそのような協力関係構築は困難だと最初から考える傾向にあるようです。
言葉を換えると、高信頼者は社会的な楽観主義者であり、そのために他人とのつきあいを積極的に追求する。低信頼者は社会的な悲観主義者であり、そのため、他人、特によく知らない人とのつきあいを避けるようになる。
であれば、他人が信頼できるかどうかを気にするのは、高信頼者のほうとなるでしょう。
また、高信頼者は、その結果、他人とつきあう機会が多くなるので、他人の人間性を理解するための勉強の機会も多くなる。
このように考えると、一連の結果は、うまく説明ができるようです。
参考
「安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方」(山岸俊男著 中公新書)
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このことを逆に考えると、信頼するためには、単なるお人好しではダメであり、情報に敏感であり、かつ、相手のことを判断する能力が必要であるということとなります。
これまでに書いてきたように「信頼」ということは、リスクがあるということが前提です。この前提の上に、相手を信頼するのですから、このような能力なしに健全な信頼をもつことは不可能でしょう。
がん医療ではどうでしょうか。
現在の医学では、がん医療には、かなりのリスクがつきまといます。
しかも、そのリスクを完全に患者が理解することは不可能です。
治療を受けるためには、医師(病院)を信頼することが必要となります。
もちろん、医師を信頼せずに、個人の責任のもと、民間療法に頼るのは個人の自由です。
(もっとも、そのリスクをきちんと理解しているのでしょうか。個人的には、医師を信頼できずに民間療法を信頼できるというのは、知性の欠如としか思えないのですが。)
この際、治療にリスクがつきまとうという現実から目をそらしてしまうというのも一つでしょう。
あるいは、医師が最善・最良の治療をしてくれると盲信するのも一つでしょう。
しかし、治療にリスクがつきまとうというのは厳然たる事実ですし、医師が最善・最良の治療をしてくれる(あるいは、する技術がある)とは限らないということも公知の事実です。
やはり、現実に目をそむけずに、健全な信頼を持てるように努力するしかないと思います。
通常の社会生活と違って、ほとんどの患者は、がんとわかった時点では、がん医療の素人でしょう。
それまで、がん医療に関して社会経験を積んできているわけはありません。
であれば、なにもないところに、信頼に必要な判断能力を育てることが必要となります。
いろいろな掲示板での書き込みをみたところ、病院の名前(大学病院とかがんセンター)や、医師や看護婦の「丁寧さ」といったことにのみ、信頼の根拠を持たれている方が多いようである。
これをいちがいに間違っているとまではいいません。
数年前とは違い、標準的治療がさけばれている現在、それなりの大学病院やがんセンターであれば、標準程度の治療は期待出来るだろう。
また、医師にしても、人柄のよいほうが、精神衛生上よろしいし、また、それはQOL(生活の質)の向上にもつながろう。
とはいえ、それなりの病院であっても、治療に格差があることは事実である。また、抗がん剤治療は大規模な設備が必要でないため、小さな病院に優れた治療があるかもしれない。
医師だって人柄がよいに越したことはないが、結婚詐欺師だって本性を示すまでは好人物だろう。
しかし、病院(看板)や医師の見た目(人柄)以上のことを素人の患者がどのようにして判断すればよいのだろうか。
以下は、全くの個人の意見である。
そのためには、患者が少しでも勉強することである。
がん治療がいくら専門的といっても、その千分の一、万分の一ならば理解することができよう。
その知識と医師の説明を比べて、わからない点や疑問な点は医師に質問する。
その答えが納得出来るものならば、自分の知識もそれだけ増すし、医師への信頼も増すだろう。
注意すべきは、この質問は、医師を信頼していないから行うのではなく、より信頼を深めるため(より納得するため)に行うのである。
これを忘れなければ、医師だって患者が勉強しようとしていることがわかろうし、患者への信頼も増すだろう。
このような医師と患者の間でのキャッチボールを続けていく努力はどうであろうか。
医師と患者の間には、信頼が必要である。
患者が努力をさけるために、医師を盲信したいならばそれでもよい。しかし、結果がどうあろうと医師はうらまないように。
もしも、健全な信頼を持ちたいならば、それなりの努力がいることは当然だと思うがどうだろうか。


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